小説くずれの山

小説崩れを置いておく場所。思いつきで書いているので、ほんの少しのテーマ箱みたいなものです。よければコメントください。

間抜けの世界

カチ、カチ、カチ。秒針の音だけが聞こえる部屋で、熱すぎたコーヒーを冷ましている。

あの日以来凝りが酷い肩を揉みながらため息をついた。

あれからもう少しで1年が経つ。随分と時間が流れたものだ。その間、自分の身に、あるいは心に、何か明確な変化があったかといえばそんなことは無いような気はする。かといって全く変わらなかったかといえば、そんなことも無いとは思う。

生まれて初めて自分で選んで、自分を受け入れてもらうために努力をして、それでやっと手に入れた「世界」を、自らの手でズタズタに破壊してしまった。

似たようなこと――友人や知人との決別は、何も初めてではない。今までだって何度もあった。それでも1年前のそれは格が違ったようだ。

新しい環境に身を置くにあたって、きっと消極的な自分はその「世界」のようなものを得ることは出来ないだろうと、元々は酷く悲観していたし、半ば諦めていた。そんな自分が、運良く、そして困惑と挑戦を経てようやく手に入れたあの「世界」なのだ。

控えめな装飾を施した綺麗な小箱に収めて、引き出しの奥に大切に仕舞っておかなくてはならないような、そんな大切な「世界」を、あろうことか、その価値を最も知っているはずの自分が壊したのだ。

あの人は今どこで何をしているのだろうか。どんな「世界」を築いているのだろうか。アイツはどうだろう。また別のアイツは? そういえばアイツも……。

バラバラになった私の「世界」は、どんな「世界」に再生しただろう?

それはちょうど、どの菱形を切り取っても同じ二等辺三角形で構成されている、麻の葉模様のように。

「人間」という語が表す「人の間」は、自分の菱形の「世界」の一部であると同時に、誰かの菱形の一部でもあるのだろう。

私がバラバラにしてしまったあの二等辺三角形が、自分の菱形を形成し直して、また誰かの菱形の一部になって。そうやって彼らの「世界」が再生してくれていれば、私も少しは肩の凝りが軽くなるのだろうか。

こんなふうに、かたちのない虚しい救いを妄想していても、その救いが実在したとしても、もはや誰の菱形とも重なれなくなった私の二等辺三角形では、それを知る手だては無いのだ。

何度くりかえしたか分からない後悔の思考を、私は冷めきってしまったコーヒーと一緒に飲み下した。

きっと明後日くらいには、同じ苦味をまた味わうことになるのだろう。